2022.2.22
大昔筆者が受験生のとき俳句を国語の授業で学んだ。教師は虚子の句「流れ行く大根の葉の早さかな」を引用して大根の葉の色彩と季節感を?鮮やかに描ききった秀句であると断言したのだが正直私にはあまり理解できなかった。其のせいではないが俳句はつまらないもの年寄りくさいものと思い込んでしまった。その後予備校生時代に中村草田男 石田波郷 加藤楸邨の所謂人間探求派を知り草田男の「勇気こそ地の塩なれや梅真白」「万緑のなか吾子の歯生え初むる」「葡萄食ふ一語一語の如くにて」「降る雪や明治は遠くなりにけり」波郷「バスを待ち大路の春をうたがはず」楸邨「鰯雲人に告ぐべきことならず」「猫と生まれ人と生まれ露に歩す」などを知り俳句で初めて感動という言葉を実感した。俳句にも「思想」を持ち込むことが可能だと知ったのだ。もしあのとき国語の先生が人間探求派の句を教材に使わなかったら私は一切俳句に興味を持たなかっただろう。教えていただいた先生に感謝の一言だ。
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