2022.4.3
ロシアのウクライナへの「侵略」は色々な過去の戦争を廻る歴史を思い起こさせる。戦争が始まる前の数週間は海外の新聞雑誌の論調や英語での直接のニュースから私は侵略が必ずあると確信していた。ニュースを見て子供と話す時にもこの話をしていた。この時私の心に浮かんだのは第二次世界大戦前の英国政府チェンバレン首相の融和政策だった。1938年チェコスロバキアの割譲をヒトラーは要求した。戦争を恐れた英国とフランス政府はミュンヘン会談でヒトラーに妥協して他国の領土をその国の国民の意思を無視してナチスドイツに与えたのだ。チェコ代表は会議に出席さえ出来なかった!英国のチャーチルは強硬に反対したが、英国の世論は戦争を恐れチェコを見捨てたのだ。結果ヒトラーは英仏はナチスドイツと対決する気持ちはないと考え、その結局ユダヤ人の大量虐殺「ホロコースト」へと繋がった。しかし今回は世界はウクライナを見捨てなかったのだ。私たちは歴史を学んだのだ。ロシアの核兵器を恐れてロシア制裁を躊躇しなかったのは歴史を学んだ成果かもしれない。
侵略が始まってからの戦場でのロシアの停滞は日中戦争を思い出させる。旧日本軍は戦争は戦場でのみ行われるという考えだった。しかし戦争は少なくとも背後の経済力での戦いなのだ。武器や食料をどれくらいの期間安定して生産し戦場に運べるかだろう。ロシアのGDPでは短期決戦でなければ土台無理な戦いなのだ。旧日本軍は兵站(戦争を継続する輸送他戦場を支援する仕組み)を担う人たちを輸送屋として一段低く見ていた。そしてガダルカナルやインパール作戦の悲劇が起きた。日中戦争では所謂「援蒋ルート」に最後まで苦しめられた。米国の巨大な中国援助の為に戦場で勝っても戦争全体では勝てない状況になった。ロシア軍は米国や欧州日本のウクライナへの援助を軽く見たのだろう。とりわけ政権交代したばかりのドイツ政府が今までの比較的友好関係が保たれたロシアに対してこれほどの強硬策に出るとは思わなかったに違いない。天然ガスを大きくロシアに依存している冬寒いドイツでその政府が国民が凍死する覚悟を持って大胆なロシア制裁に踏み切ったのには私も少し驚いた。戦争しながら少しでも領土支配地域を増やして和平交渉をするのは朝鮮戦争末期を思い出させる。あの丘まであの村まで和平交渉がまとまる前に少しでもロシアは支配地域を広げようとするだろう。村や町の一個一個が大事になるのだ。「天のもとに新しきことなし」人は意外に進歩しないものだ。
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