東大叡智会

ロウソクの科学マイケルファラデー

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2022.5.31

名著マイケルファラデーの「ロウソクの科学」を知ったのは比較的に遅く私が高校生の時だ。化学の教科書に本のタイトルが書いてあり確か文庫本で買って読んだ記憶がある。その後紛失したり転居したりで失くしたりして数回は購入し最近も本棚の何処かで不明となり中古本を購入した。それから数週間して愚息がジュニア版(小中学生向き)を見つけて再度読んでいる様子だ。時々生徒にも勧めて貸し出している。マイケルファラデーは英国に鍛冶職人の子供として生まれた。実家は貧しく小学校に数年通っただけで高度な数学などはわからなかったが、科学史上最も影響を及ぼした科学者の1人とされ、彼を科学史上最高の実験主義者と呼ぶ人もいる位だ。。13歳くらいから製本屋兼本屋で丁稚奉公を始めた。勉強したい気持ちの彼には本が沢山読めるこの仕事は当に天職だったのだろう。20歳で奉公を終わると化学の講演を聞きながら独自に勉強を始め科学者になることを夢見た。知り合いから当時有名だったハンフリー・デービーの講演会の入場券を貰い講演を聞いた後その内容を300ページのノートにまとめた。そのノートをデービーに送ると好意的に見てくれて研究助手として採用された。貴族階級の出身でない彼は色々と差別や苦しい目にも遭ったようだ。1839年、電気の基本的性質を明らかにする一連の研究を完成させた。ファラデーは静電気による誘引現象、電気分解電磁気学などの現象を生み出した。彼は、当時の科学界で常識だったこれらの電気の種類の違いは存在しないと結論付けた。そして電気は一種類だとし、強さや量(電圧と電流)の違いが様々な現象を引き起こすと事を突き止めた。後に貴族に列せられる事を断っている。終生一人の科学少年でいたかったのだろう。ファラデーは1827年から1860年まで少年少女向けの19回のクリスマス・レクチャーを行った。クリミヤ戦争時 (1853–1856) の際に政府から化学兵器を作ってもらえないかという要望を受けても、倫理的な理由からこれを断わっている。彼は机をたたいてこう言ったという。「作ることは容易だ。しかし絶対に手を貸さない!」ファラデーが強い平和主義者だったのだ。標題の「ロウソクの科学」は1860年の少年少女向けのクリスマスレクチャーを編集したものだ。2016年度ノーベル医学生理学賞受賞者大隅良典教授は小学生の頃に兄から『ロウソクの科学』を贈られ、学者を目指す契機となりまた2019年度ノーベル化学賞受賞者吉野彰教授も小学校四年の時に当時の担任教諭から『ロウソクの科学』を薦められたことが科学への目を開かせるきっかけになったという。純粋な科学者は時代を経てもこの様な大きな影響を与えるのだろう。

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