東大叡智会

方丈記は面白い

Top > 塾長だより一覧 > 方丈記は面白い

2022.8.8

枕草子(清少納言 平安時代)徒然草(吉田兼好 鎌倉時代)方丈記(鴨長明鎌倉時代)を日本三大随筆という。「枕草子」は作者清少納言の感覚の鋭さその感覚をうまく説明する言葉の巧みさが心地よい。所謂「言葉使いの巧みさセンスの良さ」が感じられる作品だ。「徒然草」は正直筆者にはその名声に反して大きな魅力が乏しい。これはあくまでも私の個人的な感想だ。そう思っていた所 文学史上、有名な人物のうちで、芥川龍之介は 『徒然草』 をこてんぱんに言っています。 「わたしはたびたび、こう言われている、『徒然草などさだめしお好きでしょう』。 しかし、不幸にも徒然草などはいまだかつて愛読したことはない。正直なところを白状すれば、徒然草が名高いというのも、またほとんどわたしには不可解である。中学程度の教科書に便利であることは認めるにしろ・・・・・」私はこの言葉に大いに元気を得たものだ。たしかに文章は優れているが多少説教臭さが芥川には嫌味に感じられたのかもしれない。ところが「方丈記」にはその説教臭さが全く感じられない。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し」
訳:川の流れは絶えることはなく、それでいてそこを流れる水は、同じもとの水ではない。川のよどみに浮かぶ水の泡は、一方では消え、また一方ではできて、そのまま長くとどまっている例はない。世の中に生きている人とその人たちの住処もまた、ちょうどこの川の流れや水の泡のようなものである。古代ローマ皇帝アントニヌスも著書「自省録」の中で「すべての存在は絶え間なく流れる河のようであって、その活動は間断なく変わり、その形も千変万化し、常なるものはほとんどない」と鴨長明と全く同じことを言っている。「方丈記」に流れている思想は一種の諦観である。つまりは一生懸命生きてきた長明が必ずしも幸せに恵まれず諦めと運命を素直に静かにに受け入れた時に生じたある種の透明な心地よさを説いているのだ。此の事は洋の東西を問わないのだ。何事も人の思い通りにはならない。たとえ地位お金に恵まれても健康や子孫に恵まれるとは限らない。運命に強く抗うでもなく、かと言って何の努力もせず諦めるわけでもない。なすべきことをした後、静かに運命を受容した人の話である。年齢や経験を経た人のほうがわかりやすい面があるのも納得がいく。

お問い合わせ
- Contact -

〒904-0324 沖縄県中頭郡郡読谷村長浜
PageTopへ