東大叡智会

漢文は文化遺産

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2022.9.27

生徒たちに「江戸時代終わりまで日本の公文書つまり公的機関の文章はどういう言葉で書かれてたの?」と言う質問をすると多くの生徒は何故そんな質問をするのと言う顔をする。当たり前のように今私達が使っている日本語だと言う子もいるしまた候文の事を知っていて(こちらは少し詳しい子)何か昔の日本語で「何々候」みたいな文章で書くんでしょう。という子もいる。しかしこのどちらも正解ではない。奈良平安時代から江戸時代まで此の国の正式な記録=公文書は全て漢文で書かれている。江戸時代までは、公文書作成など公的なものを作成するときは漢文を使い、明治期以降になると漢字とカタカナを使った文体になった。

漢文の普及は、前漢期(紀元前206年 - 8年)に完成された漢文の、文法の簡潔性と漢字の強い抽象化機能の賜物といえ、東アジア文化圏において、漢文は西欧諸国におけるラテン語と同じ機能を果たしたことの一例だ。東アジア文化圏ではたとえ話し言葉がお互い理解できなくとも長い間漢文でコミュニケーションしてきたのだ。

高校の漢文では、時代としては「論語」成立の諸子百家の時代から、「史記」成立の前漢までの文書が中心であり、それに、盛唐期の漢詩が加わえれば、その90%以上はフォローできているだろう。筆者には個人的には江戸期の漢詩人の作品はとても興味深い。江戸期後半の漢学の繁栄については冨士川英郎先生の労作「江戸後期の詩人たち」に詳しい。漢字伝来千年を超えて中国を離れること遠い島国日本で漢文漢詩文化が見事に咲いたのが江戸後期だ。

 

 

 

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