2022.9.27
“Go for broke!” というのは日系アメリカ人には深い思い入れのある言葉だ。第二次世界大戦中に、アメリカ生まれの日系二世で編成された(指揮官は白人)442連隊の合言葉となったからだ。太平洋戦争地帯ではなく(そこでは流石に日本人同士の戦いとなる)、欧州戦線において勇猛果敢に独伊軍と戦ったことは今なお語り継がれている。意味は一般に「当たって砕けろ!」となっているが、その言葉のとおり、米軍の神風特攻隊であり、異常なほどの戦死者と戦果を上げた。その激闘ぶりは連隊に従軍した約14,000人のうち、死傷率は314%でありこの数字は高い損耗率、死傷率を表している。不足した人員を随時補充し続けそれでも損耗し続けたが故の数値である。
1944年10月24日、第36師団141連隊第1大隊、通称「テキサス大隊」がドイツ軍に包囲されるという事件が起こった。彼らは救出困難とされ、「失われた大隊」と呼ばれ始めていた。10月25日には、第442連隊戦闘団第2大隊に待機命令、翌26日には救出命令が下り、部隊は出動した。休養が十分でないままの第442連隊戦闘団は、ボージュの森で待ち受けていたドイツ軍と激しい戦闘を繰り広げることとなる。
10月30日ついにテキサス大隊を救出することに成功した。しかし、テキサス大隊の211名を救出するために、第442連隊戦闘団の56名(617高地:第2大隊12名、失われた大隊救出:連隊本部等3名、第100歩兵大隊11名及び第3大隊30名)が戦死し、約800名が負傷した。 この戦闘は、後にアメリカ陸軍の十大戦闘に数えられるようになった。
そして4,000人以上がハートフル章(日本語では名誉負傷章、名誉戦傷章、名誉戦死傷章などとも訳される)を獲得した。米国史上最も多くの勲章を受けた部隊としても知られる。トルーマンは彼らを顕彰して「You fought not only the enemy, but you fought prejudice and you wonあなた方は、敵だけではなく偏見とも戦い、そして勝った」と言った。偏見とはもちろん人種差別のことだ。個人的には学校に選挙演説に来られた伝説のダニエルイノウエ上院議員(442連帯の生き残りの英雄日系人の弁護士)と少しお話出来たのは今も嬉しい最高の思い出だ。皆さんもハワイ旅行に行かれたら是非ハワイ日本文化センターを訪れて頂きたい。そこでは私達と同じ日本人がどんな苦しさにも負けず生きた記録がある。