東大叡智会

学歴社会と学力社会

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2023.2.7

今日もNHKのインタビューで学歴社会についてどう思うかと問われた人達が「出来るだけ速やかに是正すべき」「大学入試を改革して希望者が好きなコースに進めるようにすべき」「学歴で決めるのではなく人格やボランテイア活動歴で決めるべき」というような話をしていた。此の話だとそのうち、日本国の大学は勉強嫌い学力軽視の人達が、学力でなく人格(そもそも人の人格をどうやって係数化、数式化して計るのか甚だ疑問だが)で入学者を決め、大学は学問の府でなく、就職の専門学校となり、日本国の学問のレベル益々衰え、私達のご先祖様が江戸以来、或いは漢字到来以来というべきか、積み重ねてきた文化尊重の伝統は朽ち果てるに違いない。スポーツで成果を上げれば人々は称賛を惜しまない。新聞雑誌ネットには如何にして長い期間努力して練習してきたか、如何にして努力工夫して勝利を収めたか、微に入り細にわたって情報が提供される。しかし頑張って勉強して難関大学に入っても、スポーツで活躍するほどの称賛は得られない。まあせいぜい親親戚友人学校での称賛にとどまる。では確率的に一流アスリートになるのと、難関大学に入るのとどちらが難易度が高いのだろうか?主要スポーツ例えば野球、サッカー、バスケ、バレー、陸上、水泳等々仮に50競技として、国内での上位5名としてみると、5名✕50競技=250名くらいだろう。かなりの難関である。此の数倍としてもせいぜい1000名だ。一方東大3000名に京大3000名国公立大医学部6000名弱を足して仮に12000万名とすれば10倍以上の難関だ。言い換えれば」一流アスリートになるのは難関大学に入るより遥かに大変なのだ。其の上に一流アスリートといえども一生の生活の安定を保証されるというわけではない。引退後の生活が必ずしもバラ色という訳ではない。勉強は特殊な才能を必要とはしないが、一流アスリートは其の限りではない。才能ある人が更に努力してから成功する世界だ。勉強の成功の称賛は一流アスリートに遠く及ばないが、周りの身近な人達が称賛してくれるのも本当に嬉しいものだ。文武両道は素晴らしい言葉だが、実際には行うのに難しい。県代表全国大会に出ましたというレベルでは可能だろうが、その道の超一流になるのは非常に困難であり多大な努力時間を必要とする。いつかどちらかに比重を移す時が来るものだ。

 

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