2023.2.16
フィンランド冬戦争は(フィンランド語talvisota)は、第二次世界大戦の勃発から3か月目にあたる1939年11月に、ソビエト連邦がフィンランドに侵攻した戦争である。フィンランドはこの侵略に抵抗し、多くの犠牲を出しながらも、独立を守ったが、モスクワ講和条約により領土の一部が割譲された。これは映画化され「ウインターウオー厳寒の攻防戦」という作品となっている。1939年8月23日の独ソ不可侵条約の秘密議定書によって、独ソによる東欧の分割が約束された後、ソ連はバルト3国とフィンランドへの圧力を強め、バルト三国(ラトビア、リトアニア、エストニア)とは軍事基地の設置とソ連軍駐留を含む相互援助条約を強引に結ばせた。フィンランドにも同様に、国境線の変更や軍事基地設置とソ連軍駐留を含む要求を行ったが、フィンランド側は応ぜず、両国間の交渉は、11月に決裂した。要はヒトラーとスターリンの両独裁者が自国の利益のために勝手に他所の国を山分けした訳だ。此の侵略に対してソ連は12月に国際連盟から除名されている。尤も除名自体はソ連邦に何の影響も与えなかった。やりたい放題だったわけだ。また、世界各国から兵器が供与されたが、いずれも旧式兵器ばかりで数も少なく、フィンランドを決定的に有利にする支援はついに行われなかった。 スターリンは力で押せばフィンランドは諦めて妥協するだろうと高をくくっていたようだ。ところが誇り高いフィンランド人は3倍の軍隊のソ連軍に対し、勇敢にもひるまなかった。ソ連は祖国防衛に燃え、訓練されたフィンランド軍に一方的に大きな損害を出す状況が続いた。フィンランドは勇敢にも1940年3月まで戦い抜いたが、フィンランド第二の都市であるヴィープリを含む国土の10%、工業生産の20 %が集中するカレリア地峡をソ連に譲り渡すという苛酷な条件の講和条約を結び、3月13日に停戦は成立した。此の話を聞いて明晰な読者諸氏は既に筆者の言わんとする事を察せられた事と思う。そうまさにこれは今から80年前のウクライナ戦争である。独裁者スターリンが独裁者プーチンに代わり、兵器が近代化し、ロシアのプロパガンダによりロシア国民が上手に騙されて戦争に駆り出さえている点が変わっただけだ。各国の援助は必ずしも有効でない点は今回は微妙だが。此の冬戦争は此の後、所謂継続戦争(フィンランド語: jatkosota)となった。1941年6月22日のドイツのソ連侵攻にはフィンランド軍は参戦しなかったが、ソ連軍がフィンランド領を空爆したため、6月25日に、フィンランドはソ連に戦線し、この継続戦争は始まった。継続戦争での参戦によってフィンランドは第二次世界大戦の枢軸国側!であったとされており、現在でも日本やドイツ等と同様に国際連合の敵国条項に含まれうるとの解釈が可能である。ソ連の侵略から国土を守るために、枢軸国の一員としてナチスドイツと手を組んだフィンランドが敗戦国となり、冬戦争という侵略行為で国際連盟から追放されたソ連は、アメリカやイギリスなどと連合国として手を組んだ。連合国陣営が勝利したことでソ連が国際連合の常任理事国になり、フィンランドから賠償金を取ることになった。フィンランドにとっては理不尽であるものの、ポーランドなどと共にに連合国の勝利した国際情勢下、ソ連側の行動が大きく非難されることはなかった。国際情勢はかくも無慈悲だ。侵略したのはソ連邦側であり、フィンランドは単に民族の興亡を賭けて抵抗下にすぎない。フィンランド人には理不尽この上ないことだろう。今回のウクライナ戦争ではフィンランドの戦いの教訓を活かすべきだろう。国際社会の終始一致した努力が実るのを祈りたい。
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