東大叡智会

慶応大学塾歌の話

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2023.6.15

慶応大学には筆者自身は殆ど縁がない。多少の縁といえば高校卒業後最初に受験したのが当時の慶応医学部だったことと、親しい友人が卒業生に少数いる位だ。当時の慶応医学部は一次試験を日吉キャンパスで二次試験を三田キャンパスで行っていた様な記憶だ。幸い一次試験に合格して二次試験まではなんとかたどり着いた記憶がある。学校内がきれいだった事と入試の時見た先生方がおしゃれだったことを覚えている。しかし縁がないにも関わらずその校歌(慶応では塾歌と呼ぶ)は一番好きな校歌だ。作曲は信時潔、メロデイが美しいが詞も好きだ。


1見よ 風に鳴るわが旗を 新潮寄するあかつきの 嵐の中にはためきて 文化の護りたからかに 貫き樹てし誇りあり 樹てんかな この旗を 強く雄々しく樹てんかな あゝわが義塾 慶應 慶應 慶應

2往け 涯なきこの道を 究めていよゝ遠くとも わが手に執れる炬火は 叡智の光あきらかに ゆくて正しく照らすなり 往かんかな この道を 遠く遥けく往かんかな あゝわが義塾 慶應 慶應 慶應

3起て 日はめぐる丘の上 春秋ふかめ揺ぎなき 学びの城を承け嗣ぎて 執る筆かざす わが額の 徽章の誉 世に布かん 生きんかな この丘に 高く新たに生きんかな あゝわが義塾 慶應 慶應 慶應

この詞の中の風に鳴る旗という詞は、福沢諭吉が、オランダがナポレオンに屈服して、その国旗を掲げる場所がなくなった時、ナポレオンの力が及ばない長崎の出島にだけはオランダの旗がはためいていたというのを知って、感慨を深めたことによる。すなわち幕末明治維新の騒乱で、幕府が建てた洋学を学ぶ学問所は全て閉鎖され、新政府は学問を進める余裕など全くない、その時慶応だけは学問をとりわけ洋学を学んでいたというのだ。日本に慶應義塾がある限りは、日本国は文明国であるという気概を述べたものだ。実は明治初期新政府の官僚を輩出したのは慶応義塾だ。東大はまだ設立されていない。官僚と教育界は慶応が最も強く後には経済界の慶応となった。慶応の学内では教授といえども正式書類では全て「何々君」と呼ばれる。何々先生ではない。慶応で「先生」と呼ばれるのは福沢諭吉だけである。独立した私学としての誇りを感じる。国際卓越大学に慶応が立候補しなかったのは国家に頼らない独立の気概から来るものだろうか。

 

 

 

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