2023.7.22
日本をあの悲惨な戦争から無事終戦(事実上は敗戦)に導いた海軍出身の元首相。昭和天皇の信頼は絶大だった。昭和天皇は文民であれ、軍人であれ全体にリベラルな欧米派を好んだ。鈴木は常日頃から「軍人は政治に関わるべきでない」がモットーだった。鈴木は軍人だったが軍国主義者ではなかった。それ故に終戦前に首相就任の辞退の言葉を繰り返す鈴木に対して、「鈴木の心境はよくわかる。しかし、この重大な時にあたって、もうほかに人はいない。頼むから、どうか曲げて承知してもらいたい」と天皇は述べた。ここに軍部の横暴を抑え,国民の混乱を避け戦争を終わらせたい天皇側近の人々と天皇の意志が一致した。かつて鈴木を侍従長に推した貞明皇后(昭和天皇母)からも信頼を得ており、天皇よりも30歳以上年上の鈴木に対して「どうか陛下の親代わりになって」と言葉をかけられた。妻のたかは(旧姓足立たか)は女子高等師範(御茶ノ水大)を出て幼少時の昭和天皇の教育係だった。天皇は鈴木に度々「たかは、どうしておる」「たかのことは、母のように思っている」と話しかけている。つまり鈴木夫妻は昭和天皇にとって親のような存在だったのだ。二、二六事件で鈴木が撃たれたことに対する天皇の怒りは大きかった。首相就任後すぐに米国大統領ルーズベルトが亡くなり以下のコメントを米国向けに発表した。
「今日、アメリカがわが国に対し優勢な戦いを展開しているのは亡き大統領の優れた指導があったからです。私は深い哀悼の意をアメリカ国民の悲しみに送るものであります。しかし、ルーズベルト氏の死によって、アメリカの日本に対する戦争継続の努力が変わるとは考えておりません。我々もまたあなた方アメリカ国民の覇権主義に対し今まで以上に強く戦います」前半部分の英訳は以下である。
I must admit that Roosevelt's leadership has been very effective and has been responsible for the Americans' advantageous position today. For that reason I can easily understand the great loss his passing means to the American people and my profound sympathy goes to them。
ルーズベルトが亡くなった時ヒットラーは口を極めて故人を罵倒したが、鈴木は此の様に品位を持って、真の侍の子孫らしく弔意を表した。此の事は米国に好印象を与え、鈴木内閣の間に戦争を終わらせる機運が米国で大きくなった。
東條英機を頭に頂く横暴な軍閥を抑えなければ戦争は終わらなかった。鈴木は「天皇の名の下に起った戦争を衆目が納得する形で終らせるには、天皇本人の聖断を賜るよりほかない」と考えていた。今日では終戦は昭和天皇と鈴木の巧みな共同作戦だった事がわかっている。
遡ること1936年(昭和11年)2月26日二、二六事件が発生した。事件前夜に鈴木はたか夫人と共に駐日アメリカ大使ジョセフ・グルーの招きで米国大使館の夕食会に出席し、米国映画を一緒に見た後、11時過ぎに麹町三番町の侍従長官邸に帰宅した。翌早朝5時に青年将校が二、二六事件を起こし鈴木の自宅に乱入し鈴木は青年将校にピストルで撃たれた。一時は脈も止まり、死を覚悟したが、医師たちの必死の治療のお陰で一命を取りとめた。もし此の時死亡していたら戦争を終わらせる人はいなかったであろう。天は鈴木に命と使命を与えたのだ。
終戦工作が無事終了した1945年8月15日に首相を辞任した。鈴木は権力には全く興味がなかったからだ。敗戦の1年後1946年(昭和21年)のインタビューでは、「われは敗軍の将である。ただいま郷里に帰って、畑を相手にいたして生活しております」と述べている。良識派の海軍軍人により悲惨な戦争が更に悲惨に(本土決戦)ならずに済んだことは私達が記憶しなければならない大事な事だろう。
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