東大叡智会

ある修道女の言葉

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2023.8.28

修道女渡辺和子は1936年、小学校3年生、9歳のとき、226事件に遭遇、父陸軍大将渡辺錠太郎が44発の銃弾で命を落としたのを、わずか1mほどの距離から目の当たりにした。父に依って物陰に隠された和子は命を救われ、修道女となり、また優れた教育者となった。父錠太郎は貧困から身を起こし陸軍きってのリベラル派、知性派軍人、昭和天皇の信任も厚かった。此の悲惨な経験は彼女の一生を左右する大きなものとなった。18歳でカトリックの受洗を受け聖心女子大学、上智大学で学び、修道女となった。教育者としてノートルダム清心女子大学の学長理事長を務めた。2012年に発売した著書『置かれた場所で咲きなさい』が、200万部を超えるベストセラーとなった事を覚えておられる方も多いだろう。2016年89歳で亡くなった。彼女は226事件のついて要約すれば以下のように考えている。昭和氏研究家保阪正康氏との会談で以下のように述べている。

1 父がテロの犠牲になったことは、私の人生を変えることになった。 2 信仰は私の救いであり、私の支えであり、私の生きる鍵である。 3 テロの加害者を憎しみをもって見るのではなく、許すという心境で見た。 4 二・二六事件は複雑な構図があるにせよ正確に理解したい。 5 加害者の側にも許せる者と許せない者がいると考えている この5点が保阪氏に強く印象づけられた。和子の口ぶりは温厚であり、他者や社会に注ぐ視線は柔らかく、そして優しく映る。淡々と話す口調は信仰の思いに溢れている。しかし、ひとたび二・二六事件のテロのある断面に触れると口調は厳しくなる。この答えに、私の疑問は一気に氷解した。二・二六事件の本質はこの証言者の言に凝縮されていたのだ。事件を間接的に導いた陸軍真崎甚三郎大将を追い払う形で、梅津美治郎、東條英機、寺内寿一らの新しい陸軍派閥が君臨を始めたのだ。このグループが陸軍内部の実権を握り、暴力の延長として軍事を政治の上位に置いて、テロの続編のような国づくりを進めたのである。彼女が真に許し難いのはこういう我が身の立身保身のために暴力を促し許した幹部軍人の面々だろう。

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