東大叡智会

ノーベル医学生理学賞カリコ博士の劇的生涯

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2023.11.12

本年2023年ののノーベル生理学・医学賞は受賞者は「メッセンジャー(m)RNA」を使ったワクチンの新時代の基礎を築いたカタリン・カリコ米ペンシルベニア大特任教授(68)に与えられた。共産主義体制の東欧ハンガリーから米国に渡った研究者で、その研究人生は平坦ではなかった。カリコ氏は1955年にハンガリーで生まれ、「科学者など見たこともない」という田舎町で育った。ハンガリーの名門大学で生化学の博士号を取得したが、 母国の経済の行き詰まりなどから海外の学会に出席することさえ認められず、研究資金も途絶えてしまった。既に結婚して長女がいたカリコさんは、30歳で米国に研究拠点を移す決断をする。  車を売って闇市で両替した900英ポンドを長女のぬいぐるみに隠し、片道チケットで「鉄のカーテン」を越えたのだ。その勇気に驚嘆する。当時は一定額を超える外貨の持ち出しが禁止されていた。米国の大学で研究職に就くと、研究者として生き残るために「地獄のように働いた」と振り返る。 mRNAを治療に役立てようとするカリコさんの発想は評価されず、降格も経験した。外部からの研究資金を得られず、研究費を同僚に依存する日々が続いた。研究が時代に先駆けし過ぎた悲劇だ。しかしコロナウイルスの蔓延で彼女の研究は一躍時代の寵児となった。彼女は「基礎科学の重要性」「科学における多様性、特に女性の存在」、そしてイノベーション(変革)につながる多様性の大切さを挙げている。広範な「基礎科学の存在」「女性の人材開発」が国の命運を分けるのは間違いない。幼少期にカリコさんと共に米国へ渡った長女のスーザン・フランシアさんは、ボート競技の米国代表としてオリンピック2連覇を果たした。スーザンさんは「金メダリストの母親」から「世界を救う科学者」となったのだ。

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