2024.1.26
NHK大河ドラマ「どうする家康」が終わった。今までの徳川家康が登場するドラマの中では、筆者的には最もしっくり来る家康像だった。しかし世間一般の反発は強い。歴史の専門家の酷評も多い。多くの人にとって明治新政府に依って広められた「家康は狸親父」「秀吉の死後に巧妙に天下を盗んだ。」像が今も根強い事がわかる。しかし歴史をよく見れば、家康が秀吉の傘下に入ったのは天下の平和的統一目的だったことは間違いない。また家康は信長のそもそも同盟者であるので、巧みに天下を盗んだという言葉を使うならむしろそれは秀吉であろう。天下統一後に秀吉は自分に都合の悪い多くの者を処刑し、金銀等を独占して大阪城に貯め込んだ。(この金銀が大坂冬夏の陣の資金となった)この間日本に滞在した外国人宣教師たちは秀吉の女性に関する不道徳性を口を極めて非難している。(カトリック的な道徳観からではあるが)同じ宣教師たちは家康から禁教されてしまうが、家康自体を非難してはいない。当時のカトリック国であるスペイン、ポルトガルは世界戦略(植民地化)に宗教を組み入れていた。家康は単に貿易の利益を求める商業国家、プロテスタント国のオランダに切り替えたのだ。これは一種の先見の明であろう。朝鮮に使いを送り「貴国を侵略した豊臣氏は滅ぼしましたので、安心してまたお付き合いしましょう」と述べている、政権確立に目処がつくや、国家のイデオロギー作りを始め、儒教に目をつけて採用した。戦国的発想から平和時の秩序作りのために。(勿論賛否両論がある)
反面家康に親しみを持つ人達の多くは江戸以降に作られた家康像即ち「最初から優れた戦略家」「人生は長い坂道を行くが如くである」(これは後の世の創作)に象徴されるような最初から老成して道徳的で賢い家康像に惑わされている。(この様な家康をかつて滝田栄が演じた)実際の家康は家臣団の一向一揆で危うい目にあって反省したり、武田軍に壊滅的打撃を受けたり、今川家の衰亡で目処がつかなくなったり、失敗の連続を運と失敗から学ぶ反省力で切り抜けている。筆者の見る家康像は格別才能に恵まれない受験生が、多少の運と失敗から学ぶ努力で、才能の不足を補いながら結果的に成功した受験生の様に映る。才能では家康は信長の企画力(楽市楽座制、いち早く軍事の基本は経済と見抜いた点)秀吉の人間的魅力と進取の精神に遠く及ばない。しかし天才より大凡人が優ることもあるのだ。人の成功や失敗から学ぶ姿勢は当に受験生が注目すべきものだろう。凡人が天才を凌駕するのが受験の醍醐味ではある。
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