2024.2.12
蕪村の美文である。中国では春節即ち日本国では旧正月である。旧正月の風習は日本では失われて久しい。筆者が小学校に上がる頃は祖父母が僅かに旧正月を祝う風習が残っていたと思うくらい、太古の昔である。しかし嬉しい事に、ここ沖縄では旧正月の風習が色濃く残っている。スーパーに行けば旧正月用の食材が並んでいたりする。
閑話休題(ところで)蕪村の春風馬堤曲は蕪村が旧正月後の薮入り(別項で述べる)に故郷に帰る若い女の子と道中が同じになりその様子を美しく描いた俳文である。筆者のこの作品との出会いは受験生の時だ。蕪村はここで娘に託して自らの郷愁を述べている。作は安永年間1,777年。安永年間は将軍徳川家治の治世である。俗に田沼意次時代。良くも悪しくも江戸時代の最も安定した期間だ。ここに記すのは書き下し文である。音読に適している、松尾無精は筆者の筆名。所謂めんどくさがり屋の無精である。以下は書き下し文である。音読に適している。
余、一日(いちじつ)、耆老(きらう)を故園に問ふ。 澱水(でんすい)を渡り馬堤(ばてい)を過ぐ。偶(たま
たま)女(ぢよ)の郷(きやう)に歸省する者に逢ふ。先後して行(ゆ)くこと數里、相(あひ)顧みて語る。
容姿嬋娟(せんけん)として、癡情(ちじやう)憐(あはれ)むべし。因(よ)りて歌曲十八首を製し、女(ぢよ)
に代はりて意を述ぶ。題して春風馬堤曲と曰(い)ふ
春 風 馬 堤 曲 十八首
○やぶ入(いり)や浪花(なには)を出(いで)て長柄川(ながらがは)
○春風や堤長うして家遠し
○堤より下りて芳草を摘めば 荊(けい)と蕀(きよく)と路を塞(ふさ)ぐ
荊蕀何ぞ妬情(とじやう)なる 裙(くん)を裂き且(か)つ股(こ)を傷つく
○溪流石點々 石を踏んで香芹(こうきん)を撮(と)る
多謝す水上の石 儂(われ)をして裙(くん)を沾(ぬ)らさざらしむ
○一軒の茶見世の柳老(おい)にけり
○茶店の老婆子(らうばす)儂(われ)を見て慇懃に
無恙(ぶやう)を賀し且(かつ)儂(わ)が春衣を美(ほ)ム
○店中二客有り 能(よく)解す江南の語
酒錢三緡(さんびん)擲(なげう)ち 我を迎へ榻(たふ)を讓つて去る
○古驛三兩家(さんりやうけ)猫兒(びやうじ)妻を呼ぶ妻來(きた)らず
○雛(ひな)を呼ぶ籬外(りぐわい)の鷄(とり) 籬外草(くさ)地に滿つ
雛飛びて籬(かき)を越えんと欲す 籬高うして墮(おつること)三四
○春艸(しゅんさう)路(みち)三叉(さんさ)中に捷徑(せふけい)あり我を迎ふ
○たんぽゝ花咲(さけ)り三々五々五々は黄に
三々は白し記得(きとく)す去年此路(このみち)よりす
○憐(あはれ)みとる蒲公(たんぽぽ)莖短(みじかう)して乳を浥(あませり)
○むかしむかししきりにおもふ慈母の恩
慈母の懷袍(くわいはう)別に春あり
○春あり成長して浪花(なには)にあり
梅は白し浪花橋邊(なにはきやうへん)財主の家
春情まなび得たり浪花風流(なにはぶり)
○郷(きやう)を辭し弟(てい)に負(そむ)く身(み)三春(さんしゆん)
本(もと)をわすれ末を取(とる)接木(つぎき)の梅
○故郷春深し行々(ゆきゆき)て又行々(ゆきゆく)
楊柳(やうりう)長堤道(みち)漸くくだれり
○嬌首(けうしゆ)はじめて見る故園の家黄昏(くわうこん)
戸に倚(よ)る白髮(はくはつ)の人弟(おとうと)を抱(いだ)き我を
待(まつ)春又春
○君不見(みずや)古人太祇(たいぎ)が句
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