東大叡智会

部活顧問という聖職

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2024.5.18

部活離婚という言葉を皆さんは御存知だろうか?私自身の海外での経験と愚息がインター生であることから、いかに日本の小中高の先生方が、献身的な自己犠牲のもとに学校が成り立っているかをよく知っている。海外では教員であることは普通の一般職である。日本は未だに教職は聖職であるという考えが根強い。聖職でないにせよ教員の自己犠牲は半ば当然のごとくに扱われる。この教員の忙しさは何が原因なのか?原因は明らかである。先進国中日本の教育予算は最も少ない。学生数に対して教員が不足しているのみならず、教員を補助する事務職、補助教員の数が少なすぎることがまず第一の原因だ。2学校で子どもたちの精神的心理的ケアーをする人材の不足、これもまた真実だ。教育は明治の世と同じく国の不沈がかかる最大肝要事だ。明治政府はかなりな田舎にも立派な小学校を建て教育にお金をかけた。正確に言えば西洋諸国に追いつくためにかけざるを得なかったのだ。海外では学校の施設でスポーツを教える場合、教える人は有料で教えている。其の為には相応の負担が学校と保護者側に必要となる。日本では昨年から部活動のクラブ移管がようやく始まったが、地方ではスポーツによりほぼ地域クラブが存在していないのが普通だ。いきおい部活は教員が面倒を見ることになる。ここ沖縄でも野球サッカーを除き実際の移管は難しい。部活の面倒を見る教員の負担は並大抵ではない。小さい子供がいる先生の場合、朝しか起きている子供の顔を見ることが出来ないくらい忙しい方もいる。以前筆者の知り合いで関西の高校強豪サッカー部顧問の方がいたが、週末などに定期的に遠征試合に行く場合、生徒たちを連れて行く車の運転(マイクロバスの免許取得はなんと自己負担!)に始まり。1日中世話で忙殺される。「日当出るんですか?」と恐る恐る聞くと、「一日2300円ですが、3食分に足りません」という返事だった。まさに「部活離婚」という言葉がある所以である。愚息もスポーツをやっておりそれなりに強豪校である。先生の自己犠牲に感謝しか出来ない、そういう自分自身が情けなくもある。

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