東大叡智会

D -dayの気象科学

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2024.8.4

D-day (日本ではノルマンディー上陸作戦として知られる)は第二次世界大戦中の1944年6月6日に連合国軍によって行われた、ナチス・ドイツ占領下のフランス北部への上陸作戦である。ナチス・ドイツは東方で開戦当初と状況が一変し、ソ連軍に徐々に圧倒されつつあった。連合軍は西側でも戦線を開いてナチスを滅ぼす作戦に出る必要があったのだ。イギリスの港を進発した英米軍を主力とする連合国軍の巨大な兵員が、作戦初日だけで約15万人、作戦全体で200万人が英仏海峡を渡ってノルマンディー半島に上陸した。現在に至るまで歴史上最大規模の上陸作戦である。欧州に上陸しないことには、ナチスを殲滅出来ない英米にとって気候が安定しない高緯度地方の戦いは気象技術の戦いでもあった。北緯49度(フランス北部は日本のはるか北、北海道より更に北である樺太)の天気は当時の気象観測技術では予測が困難であった。これに前後する天気の状況は人員と機材を整える他にも、考慮すべきことは多々。月の明るさ、潮の満ち引き、天気も重要要素。空軍は空爆で上陸軍を援護するために月の明るい晴れた空を必要とし、海軍は安全に海峡を渡れるための静かな海と風、陸軍は上陸のために、引き潮の海岸が必要だった。荒れた海に上陸すればそれ自体自殺行為である。5日は予報通り、イギリス海峡は20年ぶりの大嵐となった。米軍はこの嵐は暫く続くので上陸作戦は少なくとも,潮の干満を考えれば下旬まで延期せざるを得ないと考えた。対するドイツ軍も同じ考えだったが、さらに楽観論が支配していたようだ。その中で地元英国軍の気象班は6月6日から少しの間、嵐が小康状態になり、上陸の最低条件は満たすと考えた。米軍と英国軍は考えの一致をみなかったが、連合軍最高司令官アイゼンハワー(後の大統領)は悩みに悩んでゴーサインを出した。結果的に英米軍は6日には来ないと考え、司令官クラスが休暇を取っていたドイツ軍は当初大混乱となった。この話は、英国の舞台劇「The Pressure」に描かれている。当時の気象技術は今と違い、コンピュターも無ければ気象衛星もない。その中で決め手となったのは長年に渡る研究とそこから生ずる一種の確信、また多少の勘だろう。長年のデータとその集約、これは果たして勘という言葉にしてよいのか?この勘が歴史を作った事は誠に興味深い。

 

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