2024.8.6
中学生の夏は中体連の季節だ。筆者の愚息も県大会を勝ち抜いて今、福岡で開催の九州大会に出場している。ここで勝ち抜けば更に全国大会へと駒を進める事となる。(その可能性はかなり低いが)。
最近文科省は中体連の縮小を言い出した。ことの発端は教師の働き方改革である。公立学校の実態は定額制給与の働かせ放題となっているのは事実だ。教師の事務量は昔と違い格段に増え、以前と違いクレームの多い親や問題を抱えた生徒の対応等、今の先生は本当に大変だ。教師を志望する大学生は年々減っている事実が雄弁にこれを物語っている。教師不足は特に大都市地域においては深刻だ。その中で部活の顧問を引き受けた、或いは引き受けざるを得なかった先生方の苦労は想像を超えている。その部活が強いかどうかは中学の場合ほぼ顧問教師の熱意に比例する。古い言葉で言えば「勇将の下に弱卒なし」である。通常の勤務が終わってから19時位まで熱心に指導される全国の先生方には感謝の言葉しかない。どこの学校も事情は同じだろう。最近ようやく外部コーチ制度が導入されたが、まだ全国的に広まり定着した段階とは言えない。教師個人の自己犠牲に頼っているのは時代の流れにそぐわない。
中体連=日本中学校体育連盟が全国中学校体育大会(全中)の規模を縮小すると決めた結果、3年後の令和9年度以降は、水泳やハンドボール、相撲、スキー、スケート、アイスホッケーなどの合わせて9つの競技について実施しないことを決めた事が発表された。文科省はもう少し議論して考えましょうという、ニュアンスだが一旦縮小の方向に動けば流れに逆らうのは困難かもしれない。
これらの競技を行っている生徒たちは新たに各競技毎に作られる縮小大会、或いは中体連主導でない大会を目指すことになる。もし全国大会が催されないことになれば全国的な競技レベルの低下が広範囲に見られるだろう。将来的に日本の競技力、社会スポーツの低下は免れない。現在多くのスポーツのトップレベルのジュニア選手は小学校の低学年化或いはそれ以下の年齢から各競技を始めている。中体連すなわち、中学校から初心者として始める子達が中学のうちにトップクラスの選手になるのはなかなかに困難だ。しかしその中から高校、大学、社会人で選手として大成する子は必ず一定数存在する。もしも全国大会がなくなれば、この子達が目指す憧れの場所がなくなるのだ。あるスポーツがその国で栄えるには、頂きの高さと底辺の広さの両方が必要だ。サッカーで言えば久保建英に憧れる子達、野球で言えば大谷翔平に憧れて競技を中学からでも始める子達がいて初めて日本でそのスポーツが盛んとなるのだ。今回縮小となる多くのスポーツはかつては普通に盛んに行われていたスポーツだ。少子化は避けられないことだが、その影響を最小限に留めながら、全中を開催し続ける国民全体の知恵がいまこそ必要となる。
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