東大叡智会

白バラ(白バラ抵抗運動)

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2024.9.4

白バラ運動または白いバラ(ドイツ語名Die Weiße Rose英語名The White Rose)は一人ひとりの小さい勇気(其の為に命を落としたので決して小さいとは言えないが)が後世の歴史的評価を生むという意味で、私達に大きな励ましと生きる勇気を与えた非暴力の反ナチス運動であった。

1942年から43年にかけてミュンヘン大学の主に医学生であったハンスショル、その妹ゾフィー・ショルを中心としてクリストフ・プロープスト、ビクトリー・グラーフ、アレクサンダー・シュモレル等の学生と、クルト・フーバー教授は自由と平和をを賛美しナチスを批判するパンフレットを送付したり、学校の内外で配った。秘密裏に慎重に行ったが、大学構内で配っているところを学校の職員に見つかり、ゲシュタポ(悪名高いナチスの秘密警察)に通報、逮捕され、即決裁判によりギロチンで処刑された。(この時通報した職員は戦後逮捕されている)とりわけ兄の運動を手助けしたゾフィーは若干17歳で処刑された。まだ高校生だった。裁判はナチス信奉者の裁判官による不正不公正なものであった。戦後この勇気ある若者達は、新生国家西ドイツの誇りとなった。戦後のドイツでは、白いバラの活動、なかでもショル兄妹に、惜しみない賞賛が与えられている。ミュンヘン大学の大講堂がおかれている一角は、兄妹にちなんだ "Geschwister-Scholl-Platz"(ショル兄妹広場)、隣接する広場は "Professor-Huber-Platz"(フーバー教授広場)と名付けられている。1968年にミュンヘン大学に設置された政治学の研究所は、Geschwister-Scholl研究所と命名された。また、1980年からは、バイエルン州出版協会とミュンヘン市がショル兄妹賞を設立し、兄妹の考えであった自由、市民、道徳、知的な勇気などに関連する出版物を表彰している。ミュンヘンのみならずドイツ各地にも、ショル兄妹の名が付けられた広場や通りがある。また、ドイツ国内の学校で最も多い校名は "Geschwister-Scholl-Schule"(ショル兄妹学校)である。なくなった人たち、その家族知人にとっては耐え難い悲しみではあったが、この犠牲は全ドイツ人にとり、また戦後の新生ドイツの精神的支えとなったのだ。筆者はまだドイツ渡航の経験がないがいつかその墓に詣でることが夢だ。

 

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