東大叡智会

本物の理想主義者であり続けることはかくも厳しいーラ・ファイエットの生涯

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2024.9.5

生涯に渡り、一貫した社会に対する考え、穏健な理想主義的な立場を取る続けることは本当に難しい。頑固蒙昧な極論であれば、あるいは可能かもしれないが、真の中道穏健主義、民主的な見解を維持し続けることは到底出来ないと考えるのが普通だろう。この意味において米国独立運動とフランス革命期を生き抜いたラ・ファイエットは極めて類稀な=歴史の審判に耐えうる人物だと思われる。フランス・アメリカ両国での活躍から「両大陸の英雄(The Hero of the Two Worlds 、Le Héros des Deux Mondes)」として知られている

ラ・ファイエットはフランス貴族の名家に生まれた。フランスは革命期を迎えてその社会は大変動期に入ろうとしていた。貴族でありながら王党派を離れて、彼は穏健な革命、社会改革を夢見ていた。国王には社会改革を訴え、暴力革命派には穏健な立憲主義を主張して双方から疎んじられた。時には保守派とみなされ、逆に国王を信奉する人たちには、裏切り者と思われていた。彼自身は国王が穏健主義者と妥協しながら漸進的に、かつ確実に社会を改革する事を信じていた。

自分の理想が当時のフランスでは実現が難しいと感じたラ・ファイエットは、若くして若干20歳ほどで、英国と独立戦争を戦っているアメリカに渡った。そこで彼は自分の理想のために生きようとしたのだ。そこで初代米国大統領ジョージ・ワシントン、後の第三代大統領であり、米国民主主義の父であるジェファーソン,駐フランス大使フランクリンなどの米国建国の英雄達と知り合うこととなった。自費で米国に渡り、自費で軍備を整え、他国の為に、また自らの理想の為に戦う若きフランス人に英雄達は感銘を受けた。ここで彼の軍事的才能は躍動し数々の戦績を上げることになった。ワシントンに奴隷解放も訴えた。

フランスに帰国するとフランス革命は彼の考える方向と真逆な過激な共和主義となり、次々と人々が処刑される恐怖政治となっていた。彼の穏健な立憲主義は時代遅れの様相であった。ナポレオンの統治を経て、反動の保守主義の時代に入ると、逆に彼は危険な革命主義者と見なされた。しかし穏健な漸進主義、改革派の信念は揺るがなかった。しばしば頑固な復古主義者とさえ見なされた。

50年の時を経て再訪した米国では、独立戦争を共に戦った友人の多くは亡くなっていたが、往時を知る人達、今や伝説の独立戦争、なにせ50年前のことである、多くの人達がこの英雄を一目見ようと殺到した。

ラファイエット侯爵は完璧からかけ離れていた。時にはうぬぼれが強く、ナイーブ、未熟、自己中心的であった。しかし、自分の人生や運命を危険にさらすことになっても、一貫して理想に執着した。それらの理想は、世界で最も永続的な2つの国家、アメリカ合衆国とフランスの国の基本原則となり証明された。それはレガシーであり、軍事指導者や政治家の中で、彼に匹敵する者はほとんどいない。

生涯を通して、ラファイエットは啓蒙時代の理想を体現した類まれな人物である。「自由」という大義の為に戦った真の英雄の生涯だった。

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