2025.5.2
日本の公教育は概して日本人自体により批判の対象となりやすい。批判される点を要約すれば大体、以下の様に集約される。
①教育が画一的で個性尊重でない点 教室では必ず挨拶から始まり、全体行動が重要視され、個性が尊重されていないと言う批判がある。しかし学校はそもそも、子どもに社会性を持たせるのが目的の一つではある。一人ひとりが我儘勝手をすれば、それは既に社会教育或いは公教育とは呼べないであろう。髪も服装も着ているものも、完全に自由で秩序が守られている位生徒の資質が高ければ、それは確かに素晴らしいことなのであろう。確かに一部非常に入学難易度が高い高校では完全自由化がなされている学校がある。名門高校ほど自由度が高いとも言う事ができるかもしれない。これは生徒の資質が極めて高く教師と学校からの信頼が厚いからである。
②全てが国内向けで、国際的視野に立っていない点 最近まで日本国自体が内向きであったのは確かである。そもそも国際化というのは比較的新しい考え方である。多くの国が国境を接している欧州では国際化(周りの国々との協調)なしでは安全に暮らせない。
③語学教育(英語教育)が充実していない。 これは確かに非常に進んであるとは言えないかもしれない。
④デジタル機器の利用等最新の教育環境が生かされていない。
しかし筆者はこれらの批判にそれほどの共感は正直感じてはいない。日本以外の国、例えば米国と比べて見れば圧倒的に進んだ数学理科などの理系科目、また多くの知識を覚えさせる社会科教育、生徒の知識量は米国とは比較にならない。公教育とお金をふんだんにかけた私立学校とをそのまま安易に比べることに違和感があるのだ。義務教育の9年間の違いを言ってみても致し方ない面がある。米国では放課後のスポーツ活動、文化活動、所謂部活動が殆ど無料でできると言うことはまず無い。(其の為に教師に多大な負担がかかるのは別の話)多くの国で有料、それもかなりな費用がかかるのが普通である。健康診断が無料であるのは外国人には信じられない事かもしれない。多くの国で日本の安価な公教育は高く評価されている。しかし多くの問題点も抱えているのは事実である。
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