東大叡智会

自宅に本が沢山有る事そして図書館の楽しみ

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2025.6.27

人は年齢と共に生理的条件、健康度、各種嗜好、色々なものがものが変化する。好みの食べ物や好きな色、生活の習慣等々、変わりゆく自分自身が普通であり、何一つ固定なものはない。確か芭蕉も同じことを言っていた。筆者も例外ではない。この駄文を読んで頂いている方々も同様であろう。其の中で一つだけ自分自身変わらないものがあるとすれば図書館に対する偏愛である。小さい時から本が有ると落ち着くのである。中学生時代位から米国や欧州の大きな館にある備え付けの棚が沢山ある家に住むのが憧れであった。夢は大きな家に住むことではない。本棚が沢山あり、其の中に所狭しと本がある(必ずしも整然と本が並んでなくとも良い)家である。米国映画に出てくる、或いは日本の有名作家や著名な研究者の自宅に出てくる本に埋もれた生活である。いつでも好きな本に囲まれすぐに手に取ることが出来る幸せ。しかしこう述べる文章家もいる。

「こんなに沢山本がないと生きていけませんみたいなのが果たして精神的に健全なことだろうか?」今や誰の言葉か忘れてしまったが、何故か強く記憶に残る言葉である。

またある人は言う「本は基本図書館で借りるものである。」これまた大真理であろう。個人がいくら頑張っても自宅に置ける本の数はたかが知れている。本当に何回も読みたい本は自宅に置き、そうでない本は図書館で借りる。ごく普通の正しい行いであろう。

筆者の教室の図書の数は2千冊弱である。主に生徒たちに読んで欲しい本を買う。狭い教室の故、置くことが出来る図書の数は当然限られる。経済的にも買うことが出来る本の数も限られるので、映画の世界の様な書斎は夢の世界になる。そこで図書館の登場である。沖縄は狭い。自宅近くで使える図書館の数は数館存在している。

図書館に入ればそこは煩わしい世間と一線を画した別世界である。最初に人文系の本を見て、それから理科系の本を見る。読む本の領域が広ければ人生は多彩となる。最近は江戸期、明治期の文語文を読み、そこから最新の物理や化学の成果にも入門程度だが興味は尽きない。ここ読谷にも新しい図書館がオープン間近である。賛否両論はあるようだが、私自身は大いに楽しみにしている。

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