2025.12.5
今を去ること数十年、浪人した筆者は、両親が住んでいた地方都市の数百人規模の予備校に通っていた。その予備校からもそれなりに難関大学、東大も、京大も、国公立大医学部にも合格者はいたので、格段授業に対して大きな不満があったわけではなかった。ただ大手予備校が存在しないという事は、模擬試験の回数が自ずから制限されるという一面があったのだ。筆者自身平日に勉強した事を週末の模試に活かして還元すれば、勉強のリズムが掴みやすかった。この理由で地方予備校在籍半ばにして、東京に出た。その頃は恐らくだが、浪人生は軽く今の3倍以上はいたであろう。著名な文化人が予備校で講演するという機会が普通にあったのだ。学問の入口に差し掛かった若者にはこれが素晴らしい刺激になったのだ。駿台で伊藤和夫師の英語や数学の若き日の秋山仁師に会えたのは最上の思い出である。文化的刺激はインターネット時代に程遠い昔は東京でなければ得難い面が確実にあった。かくして週末は模試と文化講演会、合間に美術館や東京の古い歴史的街の散策、鎌倉の散策という、受験生らしからぬ生活が始まった。予備校で受けた模試の回数は37回程になった、ほぼ毎週、いや土日掛け持ちも多かったから、毎週以上である。教科により、個人情報が開放的!であった時代、優秀者名簿に名前が少しだが、出るのはいかにも嬉しい出来事だった。代々木ゼミで優秀者の賞品、大抵ペンなどであったが、貰うと嬉しく努力が実った感じではあった。もちろん若者の自己満足ではあったのだが。翻って今を見ればオンラインや通信制で模試を受ける事が出来るようになった。地方に居ながらにして東京の恩恵を受けられるのである。これを生かさない手はない。模試を受けないのは、スポーツの練習ばかりして試合に出ないのと同じである。詰まる所独断と偏見の勉強になる危険性がある。模試は受けまくるべし。但し模試の質にも拘るべきだ。
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