2026.2.13
ベアーテ シロタゴードン女史は長い間、知られざる偉人というべき存在であった。何をした人かと問われれば、日本国憲法(新憲法)の重要な部分を書いた人である。なぜ1990年代半ばまで、世間にそして歴史に忘れられていたのであろうか。彼女の言葉によれば,「改憲派に利用されたくない」という強い意志からである。何故利用されるかと言えば、彼女が法律には素人であったから改憲派は法律家でもない若い女性が書いたという攻撃をしてくるだろうと考えたのだ。憲法のどの部分が彼女の手になるものかと言えば、日本国憲法第24条(家族生活における個人の尊厳と両性の平等)の箇所である。彼女は終戦時60人ほどしか存在しなかった日本語を完全に読み書きレベル迄理解出来た稀有な米国人であった。何故理解出来たのかと言えば、彼女の稀有な育ちである。両親はユダヤ系ウクライナ人、家庭での母語はロシア語であった。父親は著名なピアニストであり、日本へは半年ほどの公演であったが、山田耕筰の依頼により、東京芸大のピアノ教師となり、長期間日本で暮らす事になった。欧州でのユダヤ人の立場は勿論苦しいものがあったと推測される。彼女はまだ幼児であった。学校はドイツ語系インタインタナショナルスクールに通ったが、後にナチスの影響を避けるため(学校でナチス式敬礼を強制されていた)、米国系インタナショナルスクールに転校した。大学は米国に進学した。母親は彼女にピアノの才能、プロになるほどの、才能がない事を考え無理強いしなかった。米国ではフェミニズムに触れ女性の権利に付いて目覚めた。両親はドイツと同盟を結んだ日本から脱出出来なくなり、戦後彼女が占領軍の通訳として来日する日まで、長期間再会が叶わなかった。この時点で彼女はロシア語、ドイツ語、日本語、英語、フランス語(家庭教師の教育)、ラテン語、スペイン語(米国の大学で習得)、大学時には、自分の一部が既に日本人であることを自覚して日本の古典を学んだ。これにより日系米国人でさえ理解できない日本語(法律に使う様な)例えて言えば「輔弼」の様な難解な語でさえ理解出来た。彼女の様な存在があって今の日本国憲法がある。当時の多くの専門法律家は憲法改定に消極的か、或いはあらゆる手段で抵抗した。GHQが憲法作成に大きな力を用いたのは、法律家と当時の政治家が何もしないか、民主的憲法の作成に抵抗したからだ。
最後にその24条日本語と英語をここに記す。
© 2021 東大叡智会.