2024.6.10
以前筆者のブログで一度書いたが、埼玉県の伝統校の共学化問題が再燃している。事の発端は戦後国内の殆どの地域で旧制中学と旧制女学校(現在の高校)は合併し共学の新制高校となったが、例外的に北関東地域茨木、栃木、群馬、埼玉に男女別学が残った。このうち最も別学が多いのが埼玉県である。この歴史的経緯について述べてみたい。新制高等学校の発足に当たって、三つの原則が総司令部(GHQ)から強く主張された。それは学区制、男女共学制および総合制の原則である.もちろん目的は男女共学化に依る民主化である。概して地方軍政部の指導は、西日本には厳しく、東日本にはやや緩やかであったという。西日本が民主化の遅れが目立ったせいだろうか?各県のGHQ教育管理者はとりわけ厳しかったようだ。当時の文部省はこの支持を実際には地方毎の実情に応じやや緩めて、地域住民の要望があれば、男女別学も可能性として残したようだ。結果埼玉県には名門進学校が未だに男女別学となる悲劇の様な喜劇のような制度が未だに存在する。旧制の伝統をひく 浦和高校(旧制1中)ー浦和女子 熊谷高校ー熊谷女子(旧制2中)川越高校ー川越女子(旧制3中)春日部高校ー春日部女子(旧制4中)は」とりわけ名門として統合が簡単ではない。埼玉県男女共同参画苦情処理委員が令和5年8月、県教育長に「共学化が早期に実現されるべきである」と勧告したことを発端とした、県立高校共学化をめぐる動きが大詰めを迎えている。この以前にも平成14年前後に共学化の動きがあったが、やはり反対派の動きは先鋭で実現しなかった。
問題は数点ある。①共学派の言い分、男女平等の観点から言えば、共学を支持する方たちの言い分には一理ある。わざわざ男女別学にする格段な理由は、昔に対するノスタルジー以外にはないだろう。この辺り、桜の季節が入学に相応しい季節だという人たちの9月入学反対派の4月入学に対するノスタルジーに似ている。「人は案外変われない」いう言葉を思い出す。②しかし男女別学派を指示する人の数が多いのは現状間違いない。③県が共学化を強行すれば混乱は避けられない。④埼玉県の中枢部、県庁職員の幹部や政治家の多くは、これらの公立名門男子校の出身なので、そこの反対は強固である。つまり既得権益は譲れないのだ。これらの高校では共学はに対するアンケートを取ることさえ反対派が多く出来ないのが実情だ。其の先の共学化実現は容易でない。恐らく10年後も同じ騒動は続くだろう。
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