2025.6.12
全国高校ラグビー大会で過去7回の優勝を誇る強豪・東福岡(福岡市博多区)に4月、中学2年だった2023年10月に急死した兵庫県芦屋市の大上(おおうえ)稜介さん(当時14歳)が“入部”した。東福岡に入ることを夢見て勉学とラグビーに精いっぱい打ち込んだ稜介さんの思いをラグビー部がくみ取り、新入部員47人の一人として迎え入れた。 稜介さんは6歳の時、芦屋市のスクールに入ってラグビーを始めた。程なくして、スクール出身で7人制日本代表にもなった先輩の母校、東福岡を目指すようになった。成績は学年トップ、将来の日本代表を目指して英語の勉強も怠りなかった。
大会では、稜介さんを「153人目の部員」と表現したヒガシの選手たちは、8強まで勝ち進んだ。「稜介と出会い、当たり前にやっていることは当たり前じゃないと改めて感じた」と語った古田学央主将(当時3年)は、試合後は悔し涙を流しながらも「将来、ヒガシに入る子たちに、強みであるディフェンスの部分を見せられた」と胸を張った。
そして、稜介さんが高校入学を迎えるはずだったこの春、東福岡の藤田雄一郎監督らは「稜介は合格する学力もあり、東福岡を好きでいてくれた。普通に生活していたら入学、入部しているはずだ」として、稜介さんの“入部”を提案。部員や高校、OB会もこれを認めた。
今月12日に学校で開かれた入部式には直美さんたちも出席し、他の新入部員と同じようにチームの練習着などを受け取った。須藤蔣一主将(3年)は「ヒガシでプレーしたいという強い気持ちを持っていた稜介の入部は大歓迎。満場一致で賛成だった。一緒に戦いたい」と語った。直美さんは「稜介の小学1年からの目標がついにかなった。本当にびっくりしていると述べた。
「我が子がなぜラグビーに打ち込んでいたのかを知りたい」と思った母の直美さん(53)は、稜介さんが亡くなった後、人気テレビ番組に、息子の代わりに自分が東福岡でラグビーをしたいという依頼を送った。これを学校側が認め、24年6月、主力選手と一緒に練習をした。それ以降も交流は続き、24年12月~25年1月、「花園」で知られる全国高校ラグビー大会に出場した東福岡を会場で応援。直美さんは家族とともに稜介さんの顔写真をプリントしたクッションに東福岡のジャージーを着せて、声援を送った。
筆者が以前教室を開いていた福岡の教室では東福岡志望は多かった。ラグビーに疎い私にも少年ラグビーの強豪チームの指導をされているお父さんが入塾面談に来られることがあった。沖縄でも東のサッカー、ラグビーに憧れる少年はいる。東福岡高校の益々の発展を祈りたい。
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