2025.4.26
私はカソリック教徒ではないが、宗教を超えて、先日亡くなった教皇は尊敬に値する方であった。ヴァチカン法王庁はは21日午前9時47分、フランシスコ教皇が現地時間午前7時35分(日本時間午後2時30分)に亡くなったと発表した。同日夜には、脳卒中と不可逆的な心不全が死因だったと明らかにした。教皇は貧しく疎外された人々のために生涯を通じて清貧生活を送り2025年88歳で亡くなった。教皇が残した財産はたった100ドル(約1万4200円)だったとアルゼンチンメディアが22日報じられた。一般的な枢機卿の月給は4700ドル(約67万円)から5900ドル水準だという。だが、フランシスコ教皇は2013年3月教皇に即位してから教皇庁で無報酬で奉仕してきた。イエズス会出身の聖職者として「貧困誓約」を守って質素な人生を実践した。 1936年アルゼンチンで生まれた教皇は即位前までブエノスアイレスのスラムで最も貧しく疎外された隣人のために献身してきた。2001年枢機卿に叙任された後も小さなマンションに暮らしながら教皇用の高級乗用車ではなく地下鉄など公共交通を利用した。 教皇の素朴な人となりは教皇名にも表れている。フランシスコ(聖フランチェスコ、1181~1226)はイタリア・アッシジ出身で「貧者の聖者」と呼ばれた聖人だ。新教旧教の違いを超え多くのクリスチャンに尊敬されている。フランシスコ教皇はこれまでの教皇が使ってきたパウロ、ヨハネ、ベネディクトなどの名前ではなく、疎外された隣人を忘れないようにと、初めて「フランシスコ」という名前を選んだと明らかにした。 即位後も質素な生活は続いた。教皇専用の宿舎ではなく教皇庁司祭寮である「聖マルタの家」に住み、金の十字架ではなく古い十字架を着用した。赤色の教皇専用靴の代わりに黒色の平常靴を履く姿も変わらなかった。 2014年訪韓当時もこのような質素な行動は続いた。国賓用高級儀典車両ではなく、起亜(キア)の「ソウル」車両を利用した。この時、着用して20年経つ鉄製の十字架と古い靴、使い込んだカバンも話題になった。 フランシスコ教皇の葬儀は彼が昨年11月に改正した葬儀法に従い質素なお送りとなるだろう。願わくば次の教皇がこの路線を引き継がれることを切にお願いしたい。
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