2025.12.2
昨今の教育界は暗記と基礎学習を軽視する傾向が著しい。曰く「暗記学習が日本人の学力を低くした」「記憶で済む」部分は機械に任せるのが良い」「暗記は想像力を損なう」「暗記では世界の新しい傾向には追いつけない」等々。枚挙にいとまがない程である。そのうち算数の九九も携帯で調べれば済むから、特に無理して覚える必要がないと言い出す人が出てくるかもしれない。古文も漢文も英語も音声と共に学習すれば効果は大きい。今日無理して覚えたことは明日からはその人にとって当たり前の事となる。I love dogs. 「私は犬が大好きなの」である。これを西洋語は一般に主語+動詞+目的語と説明するより、音声と共に自然に暗記すれば効率が良い。受験では時に強引な暗記も必要なことがある。暗記を怠れば必ず受験期にその報いが来る。暗記は決して創造的教育(あるとすればだが)を妨げない。江戸期の後半、寺子屋や藩校から多くの優秀な人材が出た。儒学の伝統である暗唱はその後の西洋語の習得に大いに役立ったのだ。暗記は一種の集中学習である。米国はこれを軽視し、早い段階から計算機を導入して、数学の教育が破綻してしまった。同時にこれらの学校では年長者が年下の者に教える伝統があり、このことが学習内容のより深い理解へと繋がったのだ。人に説明すれば自分の理解も深まるのは当然である。筆者の教えた最難関校の合格者はいずれも暗記の達人であった。暗記の方法は様々だ。苦手な子は必ず目で見るだけである。得意な子は声に出す、書く、歩いて思える、体を動かして教えるふりで覚える等々、自分なりの工夫を考え出す。因みに筆者は立ってお芝居風に声を出してやる方法である。自分で考え出した方法は楽しく長続きする事は間違いない。
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