2022.9.29
日本や海外でどの様な人たちが国葬されてきたのか調べてみた。まず日本国内の人々だ。天皇皇族は別として政治家で言えば歴史に大きく名前を残している
地位、備考 | ||
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1878年(明治11年)5月17日 | 大久保利通 | 明治維新薩摩側近代日本の設計者 |
1883年(明治16年)7月25日 | 岩倉具視 | 明治維新の朝廷側立役者 |
1887年(明治20年)12月18日 | 島津久光 | 薩摩藩藩主 |
1891年(明治24年)2月25日 | 三条実美 | 明治維新の立役者 |
1895年(明治28年)1月29日 | 熾仁親王 | 皇族 |
1895年(明治28年)12月18日 | 能久親王 | 皇族 |
1896年(明治29年)12月30日 | 毛利元徳 | 毛利藩藩主 |
1897年(明治30年)2月7日 | 英照皇太后 | 皇族 |
1898年(明治31年)1月9日 | 島津忠義 | 薩摩藩藩主 |
1903年(明治36年)2月26日 | 彰仁親王 | 皇族 |
1909年(明治42年)11月4日[15] | 伊藤博文 | 明治維新後のリーダー |
1912年(大正元年)9月13日 | 明治天皇 | 天皇 |
1913年(大正2年)7月17日 | 威仁親王 | 皇族 |
1914年(大正3年)5月24日 | 昭憲皇太后 | 皇族 |
1916年(大正5年)12月17日 | 大山巌 | 明治維新後のリーダー |
1919年(大正8年)3月3日 | 李熈 |
元韓国皇帝 |
1922年(大正11年)2月9日 | 山県有朋 |
首相経験者でグラッドストンのライバルとして有名だったデイズレーリや看護師となったナイチンゲールも国葬を打診されたが、ディズレーリは本人の意志、ナイチンゲールは遺族の要望で辞退している。英国のサッチャー元首相は国葬を辞退し、セレモニアル・フューネラルになった。
自然科学者のダーウインの葬儀は上記の国葬、準国葬などに当てはまらないが、ウェストミンスター寺院で国家的な大規模葬儀が行われ、ニュートンのそばに埋葬された。いずれも国内外を問わず歴史的に納得できるスケール感はあるようだ。政治家は判断が難しいのだが立場を超えて納得はいくような気もする。国葬は此のレベルの人たちなのだと納得する顔ぶれだ。
貞愛親王 | 元帥陸軍大将 大勲位功二級 内大臣 | |
1924年(大正13年)7月12日 | 松方正義 | 明治維新後のリーダー |
1926年(大正15年)6月10日 | 李坧 | 韓国皇帝 |
1927年(昭和2年)2月7日 | 大正天皇 | 天皇 |
1934年(昭和9年)6月5日 | 東郷平八郎 | 日露戦争海軍英雄 |
1940年(昭和15年)12月5日 | 西園寺公望 | 昭和天皇の最高顧問 |
1943年(昭和18年)6月5日 | 山本五十六 | 連合艦隊司令長官 |
1945年(昭和20年)6月18日 | 載仁親王 | 皇族 |
1951年(昭和26年)6月22日 | 貞明皇后 | 皇太后 |
1967年(昭和42年)10月31日[8] | 吉田茂 | 戦後日本の立て直し |
1989年(平成元年)2月24日 | 昭和天皇 | 天皇 |
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