東大叡智会

季節外れの大雪が歴史を作った

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2024.3.8

東京では季節外れの大雪が時々降る。データ的にはやはり1-2月に雪が多い。1月は平均2.8日2月は3.5日と多く、3月は1.4日と少ない。1994年3月4日には何と27cmという記録がある。3月の大雪といえば、映像的に想像するのは「桜田門外の変」だろう。安政7年3月3日現在の暦で言えば何と3月24日である。今なら桜が咲いている季節だ。「桜田門外の変」の映画ドラマでは必ず大雪が降っているか、積もっている光景が描かれる。その日江戸は前日から降り続いた雪で一面雪景色だったという。(変の時間帯には溶けかけていたという説あり)大老井伊直弼の屋敷は桜田門の近くにあり、そこから江戸城の中に入るまでの距離はわずか600mである。当日は登城の為に大名行列が続いていた。襲撃者(テロを起こした側)は主に脱藩した水戸藩士であり、政治情勢を廻り水戸藩と彦根藩は対立関係があった。当日は雪のために刀が濡れないように布を被せて紐で結んでいたので、井伊家側は多くが刀を抜く前に切られた。雪の為に異変が起きたのだ。(異説あり)井伊直弼は薩摩長州の明治藩閥政府が作った明治以降の歴史では完全に悪役である。多くの映画ドラマでは其の専制恐怖政治が誇張されている。彼の彦根藩経営の善政や文武に優れた大名としての面は顧みられない。舟橋聖一氏の「花の生涯」は例外であり、「柘榴坂の仇討ち」に描かれた直弼も例外である。これは別項で述べたい。

もう一つこれは3月ではないが、226事件だろう。雪を関東地方に降らせるのは南岸低気圧だ。この年昭和2月23日に36cmの積雪を記録している。これは、明治8年(1875年)6月の観測開始から約148年間で、明治16年(1883年)2月8日の46センチ、昭和20年(1945年)2月22日の38センチに次ぐ、史上3位の記録だ。昭和に入り寒い年が多くなり、北日本の農家は冷害に苦しめられた。当時は農業中心の経済である。とりわけ226事件の時は、北日本の農家が困窮のピークに達し、このことが事件の背景にあったに違いない。気候は社会を変えてしまう事があるのだ。事件発生時、陸軍では対応策がなく混乱したが、信頼する側近を殺された昭和天皇は激怒し、兵士たちが投降しないなら、自ら近衛兵を率いて鎮圧に向かうとの意志を示して事件は収まった。この時撃たれて重症を負った鈴木貫太郎陸軍大将は,夫人のたかの懸命の嘆願でとどめをさされず、一時は心肺停止になったが、医師団の懸命の治療で、一命を取り留めた。戦争を終わらせることが出来たのは信頼関係の厚い、(夫人たかは昭和天皇の子供時代の養育係)昭和天皇と鈴木貫太郎の関係が有ってのことだと思う。

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