2026.5.17
昨年華々しく開館した新読谷図書館に於いて、本日2026年5月17日(日)AM1030筆者は「英語でのぞく世界の今」という主題で、「世界情勢を多角的に考える、ニュースの背景を考える」という副題でさる4月に行われたハンガリの総選挙について英語記事を一緒に読みながら、お話をさせて頂いた。出席者は6名であった。来て頂いた方々には感謝の次第である。講演の目的は3つである。
①英語を通して世界の情勢を知ること。少し前の日本は、世界に無関心でも、一向に差し支えない国であった。人口は増え、将来国を支える若者の人口は多かった。国内経済が順調なら、世界の影響はより少なく、多少の風雨も乗り越えることが出来たのだ。しかし今や日本経済は中国に完全に乗り越えられ、先端技術でさえ、中国に追いつかれつつ、或いは追いつかれている状態である。今や国民生活が世界の影響(世界で起きつつあること)を短時間に、かつより直接的に受ける時代になってしまっているのだ。日々の情報を日本語メデイアだけでなく、より多くの圧倒的に情報量の多い英語メデイアから得なければならなくなってしまっているの時代である。「学ぶ英語」から「使う英語、手段としての英語」に変わらなければならない時代である。その事を今日の講演で話をさせて頂いた。この事情は江戸末期から明治初期の情勢に似ている。日本が他のアジア諸国の様に、西洋列強の植民地にされないように。国は急いで国民の教育程度を上げ、世界基準を国民に知らしめる必用に迫られたのだ。この期待に応えたのが、福澤諭吉であり、森鴎外であり、夏目漱石で、内村鑑三であり、岡倉天心であった。国は切羽詰まれば、人材が次々と生まれるものらしい。
②英語の学習について「英語は手段であり、目的ではない」事を知って頂く為である。日本では主に英語は受験の為に学ばれている。即ち受験が終われば殆どの人の英語力は下がり始めるのが普通である。この事は受験生から英語教師まで広く行き渡ってしまった悪しき慣習である。英語が母国語でない人は、英語の習得に時間の制限を設けるべきではない。即ち「英語の習得には制限時間がない」のである。毎日英文を情報収集のため、英語自体を学ぶ為でも良いが、勉強し続ける事が肝心である。怠ければ後退する覚悟を持ちながら。毎日そして一生学ぶ必要がある。
③読谷村の英語レベル、ひいては教育レベルを引き上げたいとう大望である。今年度2026年は幸い、筆者の生徒たちは、皆頑張って難関中学高校大学へ少ないながらも、合格してくれた。感謝の限りである。私の小さい教室も漸く「難関校専門」の進学塾として、理解される様になってきた。読谷の教育レベルが上がれば、筆者の夢である「読谷への大学誘致」も将来的に可能となるかもしれない。そのためにも新図書館を核とした読谷村の知的文化的向上は欠かせないものである。筆者の読谷村への貢献は本当に小さいだろうが、講演は今後も続けていきたいものだ。第2回は名文の誉高い「日本国憲法条文をを英語で読む」第3回は来たるべき「米国中間選挙」をテーマにお話出来たらと考えている。
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