東大叡智会

名門高校の歴史の長さと卒業生の厚み

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2023.3.23

現在東大京大国公立医学部に多くの合格者を出している全国レベルの名門高校の歴史の長さに注目して、進学した場合どれ位卒業生として、(言葉は悪いが)お得なのか調べてみた。同じ東大出身でも、高校繋がりは強い絆がある。例えば現在東大に20名位合格者を出せば、かなりな名門校だろうが、其の学校が20名✕10年間=200名しか東大卒を出していなければ、社会的にはさほどの得はないだろう。便宜上今回は東大のみについて調べてみた。引き続き書き足し方式です。

1開成 1950年代は東大合格者20名ほど、69年代は50-60名ほど、70年代に急増して80-100名超となる。1970年卒ならば70歳にはなっているので、卒業生は文句なく社会のトップ層に君臨していることになる。

2灘  50年代は東大10名ほど開成よりやや少ない。60年代初頭より合格者が急増し、1963年には48名となり、以降開成と同じく全国トップクラスとなった。灘は開成と違い、生徒数が少ないので東大進学率はより高い。しかし開成は人数が多いのでスケールメリットはあるだろう。

3ラ・サール(鹿児島)50年代は灘と同じく10名ほど。60年代後半に急増している。全盛期は2010年位までであるが、近年学校自体が、医学部合格重視に変化している。近年は30-40名であり、かつてのように100名というわけではない。

今年の東大合格者数上位校で、比較的歴史の新しい学校を調べてみた。

4 聖光学院 80年代前半は10名ほど、後半は20名位、90年代から30名超となった。04年32人→07年48人→10年65人 全国レベルの進学校としては比較的に後発組

5豊島岡女子学園  2000年代より合格者が増え始めた2001年8名 04年9人→07年14人→10年24人合格者が多くなったのは近年であり、社会の中核にはまだ少ない。

6渋谷幕張 2000年代より、合格者が増え始めた新興勢力2001年16名→2009年28名

7渋谷渋谷 2009年9名と幕張に遅れて上昇した。最近合格者を急増させたが、歴史は比較的浅い学校 

8日比谷  かっての全国一の超名門校。全国から優秀な生徒が集まった旧制府立一中。1964年には東大に193名合格、因みに二位は都立西高156名三位都立戸山高101名 1967年に東京都は悪名高い学校群制度を作り、日比谷は没落、復活は学校群制度が廃止された数十年後であった。近年は50名前後と安定している。

9浦和 旧制埼玉県立一中  東京都と違い、学校群制度が無いため、埼玉県下全域より優秀な生徒が集まる。歴史が長い1950年代から多くの生徒が東大に進学した。大阪の北野高や愛知旭が丘高福岡修猷館高熊本熊本高も同じパターンだ。

10北嶺(北海道)2000年代から合格者がでた新興勢力。2009年11名の合格者を出してから伸びた。栄東も同じパターンだ

 

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